奈良県奈良市 近鉄尼ヶ辻駅を最寄りとする菅原地区にある「菅原天満宮」「喜光寺」「垂仁天皇陵」など古墳時代から行基、そして菅原道真生誕の歴史の舞台となった場所を5ヶ所ご紹介します。
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近鉄「尼ヶ辻駅」を最寄りとし「大和西大寺駅」や薬師寺、唐招提寺がある「西ノ京」からも近い奈良市「菅原」エリアは古墳時代から奈良時代に活躍した僧「行基」そして、菅原道真の誕生物語と長きに渡り菅原氏そして行基を中心とした歴史の地です。
このページでは、この地の歴史をたどると同時に
・菅原エリアの概要
・菅原はにわ窯跡公園
・垂仁天皇陵(宝来山古墳)
・喜光寺
・菅原天満宮
についてご紹介します。
◎観光案内の媒体によっては「大安寺」と同じくくりにされている場合がありますが、全く異なるエリアです。
◎住所の「奈良市菅原町」と重なる部分もありますが、その周辺も含みます。
・地図(画像)OpenStreetMap © OpenStreetMap contributors (Open Database License CC BY-SA)
▶最寄り駅は近鉄「尼ヶ辻駅」となります。
▶近鉄「大和西大寺駅」からは徒歩1.1kmです。
▼2025年4月1日からの路線図
(2025年4月1日からルートなどが再編されました。詳しくはこちら)
▶「菅原東」バス停が最寄りです。
・終バス時刻にはご注意ください。
・近鉄奈良駅、JR奈良駅から学園前駅を結ぶバスは「阪奈菅原」を経由しない経路もありますのでご注意ください。(※2025年4月1日からは、ほとんど運行が無い。)
>>奈良交通について
ここに注目! 共に重要文化財の本堂と、阿弥陀如来坐像 |
ここは何? |
内部を拝観できる一般に開放された寺院。 |
何ができる? |
本堂に入って参拝ほか境内に複数のお堂 |
どんな所? |
阪奈道路から朱塗りの門が見えるお寺が「喜光寺」です。創建にはいくつか説があり、菅原氏の菩提寺として創建した説、寺史乙丸(一部の非公式資料に菅原氏関係者との旨あり)が邸宅を行基に寄進した説があります。
喜光寺は当時は「菅原寺」と呼ばれており奈良時代に公共事業を行い、奈良の大仏の建立にも活躍した僧「行基」の活動拠点でした。聖武天皇が行幸で訪れた際に、仏様が光り輝いて見えたことから「喜光寺」と呼ばれるようになりました。 平安時代以降は衰退し、室町時代再建の本堂は後の火災を免れ現存しています(重要文化財)。鎮守の天満宮(現在の菅原天満宮)は廃仏毀釈の織に分離されています。 平成になってから南大門が復原され、2014年に行基堂が建立されています。 |
何がある? |
本堂(重要文化財) 阿弥陀如来坐像(重要文化財) 南大門(2010年落慶 |
どんな大きさ? |
本堂を中心に全体を見渡すことができる大きさ |
行き方 |
奈良交通「菅原東」バス停より徒歩約400m 大和西大寺駅より徒歩約1400m |
文化財登録 |
本堂 阿弥陀如来坐像 |
>>喜光寺公式サイト
ここに注目! 日本最古の天満宮 |
ここは何? |
拝殿から参拝できる一般に開放された神社 |
何ができる? |
拝殿から参拝 |
どんな所? |
古来よりこの地を拠点としていた菅原氏ゆかりの地にある日本最古の天満宮です。 |
何がある? |
拝殿、祝詞殿、本殿が並ぶ。 |
どんな大きさ? |
拝殿前の広場から全体を見渡すことができる大きさ |
行き方 |
奈良交通「菅原東」バス停より徒歩約300m 大和西大寺駅より徒歩約1250m |
ここに注目! 埴輪のある遺跡公園で、この地の歴史を知る |
ここは何? |
遺跡公園 (菅原東遺跡埴輪窯跡群) |
何ができる? |
公園内にある施設の見学 |
どんな所? |
住宅街にある埴輪を製造していたとみられる窯の跡地。平成になり周辺の開発に伴い移設された窯が公開。窯の周辺には埴輪を模したオブジェが点在。
日本最初の天覧相撲をした伝説(@桜井市相撲神社)で知られる野見宿禰(のみのすくね)が垂仁天皇の皇后が崩御した際、当時は主流であった生き埋めを取りやめ、代わりに「埴輪」を埋めるよう提案します。これが評価され垂仁天皇から「土師」(はじ)の苗字を貰います。ただし、この話は伝説上の物語であると見られます。 埴輪制作の「きっかけ」は伝説であっても、土師氏が埴輪や土師器の制作に従事していた事柄の証拠は発見され、奈良市-菅原のエリア内から埴輪を制作していたとみられる窯が出土しています。 この土師氏の一部が後世になり、この地の地名から「菅原」を名乗ります。 |
何がある? |
移設された窯の遺跡、埴輪のオブジェ |
どんな大きさ? |
公園前の道路から全体を見渡すことができる程度の小さな公園 |
行き方 |
奈良交通「菅原東」バス停より約200m 大和西大寺駅南口より徒歩約1100m |
文化財登録 |
奈良市指定文化財史跡(菅原東遺跡埴輪窯跡群) |
【参考】菅原エリアではありませんが… 「佐紀陵山古墳」 大和西大寺駅から15分程北に歩いた「佐紀古墳群」を構成する古墳の一つです。垂仁天皇の皇后日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の陵として治定されています。 |
ここに注目! 全長227mの前方後円墳と、堀の中の墓 |
ここは何? |
天皇陵 |
何ができる? |
参拝所より参拝 |
どんな所? |
近鉄橿原線「西ノ京駅」~「尼ヶ辻駅」の車窓に現れる古墳が「宝来山古墳」です。全長227mの前方後円墳で垂仁天皇陵に治定されています。
宝来山古墳の堀の中にある島は「田道真守」の墓と仮託されています。田道真守は垂仁天皇に命じられ不老不死の果実(橘)を取りに行くため中国の蓬莱山まで行きますが、帰って来た頃には垂人天皇は亡くなっていました。これを知った田道真守は悲しみ自ら命を絶ちます。景行天皇が垂仁天皇のそばに埋葬したという話です。尚、堀を拡張する際に残されたもともとの堤の一部と推測されています。 |
何がある? |
古墳 |
どんな大きさ? |
全長277m |
行き方 |
奈良交通「菅原東」バス停より約1100m 近鉄「尼ヶ辻」駅より約600m |
菅原天満宮公式サイト http://www.sugawaratenmangu.com/
喜光寺公式サイト http://www.kikouji.com/
奈良市役所公式サイト>菅原はにわ窯公園 https://www.city.nara.lg.jp/site/bunkazai/2434.html
奈良市役所公式サイト>菅原東遺跡埴輪窯跡群 https://www.city.nara.lg.jp/site/bunkazai/8412.html
桜井市役所公式サイト>相撲神社 https://www.city.sakurai.lg.jp/kanko/syaji/kashiramoji/sagyo/1395291720304.html
「ドラマチック奈良 昔むかしをつぶさに歩く」小倉つき子 2010年 京阪奈情報出版
「奈良の寺社150を歩く」槇野修 2016年 PHP研究所
「奈良の古墳」まりこふん 2015年 淡交社
「古墳入門」広瀬和雄 2015年 幻冬舎
「奈良まほろばソムリエ検定」奈良商工会議所 2014年 山と渓谷社
現地案内板