平城京は「奈良市」だけではありません。現在の「大和郡山市」の一部にも平城京の跡地が重なります。大和郡山市の平城京跡地には、都の時代に栄えていた「西市」やそれに付随する船着き場、「富本銭」の出土地や「羅城門跡」があり、それぞれに解説看板が設置されています。
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「平城京」と言えば「奈良時代に奈良市にあった都」という説明をしがちですが、現在の奈良市域=平城京でもなければ、平城京=全域が奈良市域でもありません。厳密な説明をすれば「平城京は現在の奈良市、大和郡山市のそれぞれ一部」となります。都の南限の一部ではありますが、現在の大和郡山市域にも平城京の跡地が重なります。
大和郡山市域の平城京跡地には「観光地」として観光客がたくさん訪れるという場所ではないものの、平城京に関する場所が各地にあり説明看板などが建てられています。
このページでの「九条駅」は奈良県大和郡山市にある近鉄橿原線「九条駅」です。
平城京には京の西側と東側に2つの「市」が設けられており様々な物品が取引されていました。そのうちの西側の市である「西市」(さいいち)が大和郡山市九条駅前にあります。
現在は道路の片隅に碑と解説看板が建てられています。
▶近鉄橿原線「九条」駅(普通のみ停車)から徒歩5分程
▶「九条駅」下車後、コンビニ建物横の道路を歩いてしばらく。
▶駐車場:なし
▶記事冒頭の地図①番
自動車も鉄道もない奈良時代の貨物輸送は「水運」に頼ることとなります。平城京の市にも隣接して運河が設けられ船着き場が設置されました。
平城京西市跡の碑の近くに現在も流れる「秋篠川」は平城京の都市計画で整備された河川です。この記事の上の項目でお伝えした「西市跡」からすぐの場所に「西市船着き場跡」の碑と説明看板が秋篠川沿いの堤防に設置されています。
▶近鉄橿原線「九条」駅(普通のみ停車)から徒歩5分程
▶この記事で紹介した「西市跡」の碑から見える堤防を目指してすぐ。
▶駐車場:なし
▶記事冒頭の地図②番
今、教科書を開くと日本最古の貨幣として「富本銭」と記載されているはずです。しかし、過去の教科書には「和同開珎」と書かれていました。教科書の内容が書き換わったということです。これまで「和同開珎」が日本最古の貨幣とされてきた中、「富本銭」が始めて発見されたのが大和郡山市の「九条公園」です。
1985年「九条公園」建設に伴う発掘調査で井戸の中から「富本銭」が始めて出土しました。その後、別の遺跡で同じく「富本銭」が出土するものの、その量は少なく流通した貨幣ではなく「まじない銭」などと考えられていました。
しかし、1998年に明日香村で富本銭を製造していたと考えられる遺跡(現在の万葉文化館)が発見され、富本銭が日本最古の貨幣として有力視されるようになりました。
現在、「九条公園」には敷地入口付近に説明看板が、公園内に入りまっすぐすすんだ芝生の広場の入口に出土地を示す杭があります。
▶近鉄橿原線「九条」駅(普通のみ停車)から徒歩10分程
▶この記事で紹介した「西市船着場跡」から秋篠川沿いに5分程
▶駐車場:あり
▶記事冒頭の地図③番、④番
平城京のメインストリートである「朱雀大路」の南限には「羅城門」という平城京の正門がありました。その羅城門の跡地は時代が進むにつれ、現在は「佐保川」の中になってしまいましたが跡地の周辺には解説看板などが設置されています。
(▶記事冒頭の地図⑤番)
羅城門から東西にしばらくの間続いていた塀「羅城」が商業施設開発の際に発見されました。それを記念して現在は「イオンモール大和郡山」敷地内駐車場にモニュメントが設置されています。
(▶記事冒頭の地図⑥番)
\詳しくはコチラから/ |
・三菱UFJ銀行貨幣資料館>富本銭について https://www.bk.mufg.jp/csr/contribution/kids/gallery/exhibit/fuhonsen/index.html
・現地解説看板